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医師会について

沿革と概要

兵庫区医師会沿革史
 昭和20年5月、神戸市の区政が改変され、従来の兵庫区に港区、港東区の一部が吸収されて兵庫区が誕生し、これと同時に兵庫区医師会が発足。
 昭和22年、第二次大戦の終結に伴い、駐留軍GHQの要求により官製医師会が解散されることなり、同年11月24日社団法人日本医師会、社団法人兵庫県医師会設立に伴い、当区も新生医師会として社団法人兵庫区医師会が誕生した。当時の会員数は約30名であった。

 昭和31年4月、神戸市医師会が社団法人となり、これに伴い兵庫区医師会はその法人格を外し神戸市医師会傘下の兵庫区医師会として新生することとなった。昭和32年4月に武見太郎日医会長が誕生した。昭和46年7月1日、日医武見会長は全会員に対し保険医総辞退を司令、当区医師会も一致団結してこの1か月の間の難局に対処した。
 昭和48年8月1日、神戸市の行政区改革により北神地区が兵庫区から分離、北区として独立したのを機に、54名の会員が兵庫区医師会より別れて北区医師会を創設した。
 昭和51年2月11日、地域医療の一環として全国的に見てもユニークな神戸市休日急病相談所(通称テレセン)事業が東灘、灘、北区についで、塚本通3丁目の大和化成ビル5階において開始されるに至った。開設に際しては、各地区の意見を集約して全員参加を原則とし、地域の救急医療体制の一環として区医師会の事業はここに始動することになった。

 昭和59年に入り、長嶋淳彦は神戸市医師会会長に就任、兵庫区は松本憲一郎が会長となり、副会長 藤戸正康、石戸力、池田四郎がこれを補佐した。

 昭和61年2月12日、第1回在宅ケア連絡会、昭和61年11月22日、第1回病診合同研究会(兵庫区医師会学術集団会)が、昭和63年2月1日、兵庫保健所との定期連絡会が開催される。
 平成2年、在宅ケア部が新設され、3月31日、第50回在宅ケア連絡会記念パーティーが神戸市医師会本館で開催される。

 平成7年1月17日、午前5時46分、淡路北淡町を震源とするマグニチュード7.2の直下型大地震は一瞬にして淡路から阪神地区に及ぶ10市10町に甚大な被害をもたらした。
 兵庫区の被害:医療機関の22.48%全壊、24.85%半壊、19.25%一部損壊、30.77%軽微損傷、稼働中医療機関146,活動停止23。
 当区は避難所における救護所診療、妊婦検診、インフルエンザワクチン接種、区臨時保健・医療相談センターなどに会員が積極的に協力。震災時の医師会の対応については50周年誌別冊 阪神淡路大震災特集に詳細に記録されている。
 平成8年6月、A会員156名、B会員139名、総勢295名。

 平成8年、地域医療研究会が発足。財政優先の国の医療改革に対する医療供給サイドとして地域医療のあるべき姿、地区医師会と地域住民の関わり、医師会活動の活性化等々の課題を議論し、兵庫区医師会の21世紀への安定した発展を目指す。
 平成10年9月27日、第1回ケアマネージャ試験が行われ、兵庫区医師会から約30名の医師が受験。
 平成12年に迫った介護保険に兵庫区医師会として対応するべく、神戸市医師会の法人格のもと在宅事業、訪問看護事業を行うことが決まった。その認可基準を満たすため平成11年1月19日、現在の新開地、神鉄ビル11Fに事務所を移転。平成11年6月1日、「兵庫区医師会訪問看護ステーション」を開設。平成11年10月1日、介護保険認定の申請が始まると同時に、「兵庫区医師会在宅介護支援センター」も業務開始。
 平成12年4月1日、介護保険による在宅介護支援サービス開始。
 平成18年4月1日、介護保険改正により、「兵庫区医師会あんしんすこやかセンター」に名称変更。
 平成22年10月1日、訪問看護ステーションが「神戸在宅ケア研究所」に移管され、「兵庫しあわせ訪問看護ステーション」となる。
 平成24年4月1日をもって神戸市医師会が一般社団法人となるに伴い、「兵庫区医師会」は「神戸市医師会兵庫支部」となったが、一方任意団体としての「兵庫区医師会」は存続。

医師会のICT化
 昭和62年 全医療機関にファクシミリを導入しそれによる情報伝達を開始。
 平成13年6月16日 兵庫区医師会メーリングリスト(ML Pansy)開設
 平成10年 兵庫区医師会ホームページを開設
 平成27年 兵庫区医師会ホームページリニューアル
 平成27年 兵庫区医師会理事会をペーパーレス化


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